昭和 |
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24年 |
4月15日 |
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新潟県三島郡出雲崎町に生まれる。本名は南波省三 |
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※実家は新潟の農家なので、田植えや刈り入れの時期は、子供の頃からたんぼに |
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出て手伝いをしていましたし、冬は炭焼きの仕事もやらされました。(「まんが道」) |
43年 | 3月卒業 |
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高校3年の時、漫画家を目指そうと決意、卒業と同時に上京して、望月三起也のア |
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シスタントとなる。 |
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※望月先生のところは1年でやめ、25、26歳まで井上コオ先生の「侍ジャイアンツ」 |
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のア シスタントをしていた。 |
48年 | 7月 6日 |
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『別冊土曜漫画コミック』7月6日号に、「新撰組異聞 壬生の朝(あした)」(31ページ) |
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を描いてデビュー。 |
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7月20日 |
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続いて同誌7月20日号に「暁の闇の中で」を発表 |
| 8月15日 |
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日本文華社刊行の『漫画ジャンボ』にSFコミック「閨夢所狂騒曲」を掲載。『漫画ジャ |
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ンボ』は「野獣派劇画誌のパイオニア」が売りの成人誌。同誌には月1回のペースで |
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作品を掲載 |
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8月17日 |
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『別冊土曜漫画コミック』8月17日号に「ガラスの英雄」(原作 梅小路祐)を発表 |
49年 |
6月 1日 |
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『漫画ジャンボ』に「性狂育シリーズを連載。このシリーズは後に「性狂育講座」と |
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名称を変えて、昭和51年まで連載が続いた。 |
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9月14日 |
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辰巳出版刊行の『週間まる秘』9月14日号からシリーズ「結婚」を連載。(推定) |
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*第一話は未確認。確認できている最初の掲載は10月25日号の第四話となる。 |
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※その後、不定期のアシスタントを続けながら、週間まる秘という雑誌にピンクまん |
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がを描いたり、まんがジャンボという雑誌に、どたばたモノを描く時代が約4年ほど |
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続いた。 (「まんが道」) |
| 12月15日 |
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東京三世社刊行の『週間実話雑誌』に「白い痴夢」を掲載 |
50年 | 1月 3日 |
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『週間まる秘』1月3日号から新シリーズ「マン斬り伊三」を掲載 |
| 7月18日 |
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『週間まる秘』7月18日号から新シリーズ「OL色欲日記」を掲載 |
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8月21日 |
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一水社刊行の『漫画キック』に「スキャンダル夫人」を掲載 |
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『劇画キック』は横山まさみち氏やみなもと太郎氏も執筆をしている劇画誌 |
51年 | 3月 1日 |
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辰巳出版刊行の『漫画アイドル』3月号に「結婚狂騒曲」を掲載 |
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9月 5日 |
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竹書房刊行の『ギャンブルパンチ』9月号に「野球狂人の詩」を掲載 |
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10月 1日 |
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辰巳出版刊行の『ミスターマガジン』10月1日号から「おれは透明人間」を新連載 |
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5ページの連載であるが、ペーソスにあふれた佳作であり、南波省三が単なるエロ |
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劇画家ではないことを示した作品 |
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11月18日 |
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大洋書房刊行の『週刊マンガ旋風』に「ドロ亀易者エロ夢判断」を連載中 |
52年 | 3月 1日 |
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辰巳出版刊行の『漫画パイオニア』3月1日号に「ダーティー天使」を掲載 |
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5月 1日 |
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大洋書房刊行の『実話りっぷ』創刊号から「四畳半源次物語」を連載 |
| 10月10日 |
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大洋書房刊行の『月刊小説エンペラー』創刊号から「内縁関係」を新連載 |
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『月刊小説エンペラー』創刊号には、田中小実昌氏、都築道夫氏、赤川次郎氏、 |
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阿佐田哲也氏などが執筆をしている。 |
53年 | 2月 1日 |
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「おれは透明人間」の最終話「虫歯の恋」を掲載 |
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※まんがジャンボの連載が終了して、メジャー誌に持ち込みを始める。バレー |
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まんがを少年サンデーに持ち込む。半年ほど描き直して持ち込みを続けたが、 |
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掲載には至らなかった。(「まんが道」) |
54年 | 2月 7日 |
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『実話りっぷ』2月号に「四畳半源次物語 22 契約変更」を掲載 |
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※現在のところ確認できている最後の成人誌掲載作品。この号で連載が終了 |
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とはなっていないため、もう少し連載が続いた可能性はある。 |
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※上記の「まんが道」の回想では、『まんがジャンボ』が最後の成人誌のように |
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読めるが、実際は『実話りっぷ』が最後であったと考えられる。 |
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※成人誌の中心は辰巳出版と大洋書房から出版された雑誌であった。 |
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※成人誌時代は昭和48年から54年までと7年間に及んでいる。苦闘時代が |
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続いたことがうかがえる。 |
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10月 1日 |
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潮社刊行の『月刊少年ワールド』10月号に、たかもちげんの名で「あいつは |
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意地っぱり」を掲載、少年誌に進出した。これが「たかもちげん」のデビュー作 |
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である。なお、この作品はバレーボールを描いた作品なので、少年サンデー |
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持ち込みの作品か。 |
55年 | 1月25日 |
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『少年マガジン増刊』(1月25日)に「輪が跳ぶ」が掲載され、メジャーデビュー |
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を果たす。 |
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8月31日 |
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『週刊少年マガジン』8月31日号に「おれたちの魔女」を掲載 |
| 9月 1日 |
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『月刊少年マガジン』9月号から、やまざき十三の原作で「俺たちのダブ」を連載 |
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開始 |
56年 |
9月 1日 |
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『月刊少年マガジン』9月号に「俺たちのダブ」最終回を掲載 |
57年 | 1月 6日 |
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『少年マガジン』1月6日増刊号に「ストレートハンマー」掲載。この作品が少年誌 |
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最後の作品となった。 |
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※この作品以降、昭和57年は作品の掲載がない。苦闘時代は続いていた。 |
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9月 9日 |
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『コミックモーニング』創刊時に行われたコミックオープン「ちばてつや賞一般部門」 |
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で、「代打屋トーゴー」が入選。ちばてつや先生の評は「おもしろさの点で、ナンバー |
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ワンの作品だった。・・・また、セリフやコマ運びもみごとで、ストーリーと同時に高く |
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評価したい。この作者が身につけている『漫画ならでは』の楽しさが、だいじなのだ |
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と思う。」 |
58年 | 2月24日 |
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『コミックモーニング』2月24日号(第5号)に受賞作「代打屋トーゴー」掲載 |
| 9月15日 |
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「代打屋トーゴー」第5話「炎の石」から連載となる。 |
59年 |
12月15日 |
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『コミックモーニングマグナム増刊』12月15日号から「聖女ハリマオ」連載 |
60年 |
3月 8日 |
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『別冊アクション』3月8日号に読切作品「華の錦四郎」を掲載。 |
| 7月11日 |
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『コミックモーニングオープン増刊』7月11日号から「Let it be!吉田平八郎 |
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人中記」連載 |
61年 |
4月21日 |
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『マガジン・ノン』APRIL号に特別読切作品「毎度!葬儀屋銀平です」を掲載 |
62年 |
8月25日 |
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『ホットドッグ・プレス』8月25日号(No.174)に「ワザ師トーゴーくん修行中」を掲載 |
63年 |
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『コミックモーニングパーティー増刊』14号から「リンゴ」を連載 |
元年 |
6月25日 |
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『ビッグコミック』6月25日号に「シャーク」掲載。「待望の人気作家初見参」 |
2年 |
1月25日 |
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「代打屋トーゴー」最終話「シンデレラたちに幸いあれ」掲載 |
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『コミックモーニング』25号から「祝福王」を連載 |
3年 |
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『週刊漫画アクション』 「百年の祭り」連載 |
4年 |
6月 1日 |
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『コミックユーマン』創刊号から「雲を履く」連載開始 |
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8月 7日 |
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『ビッグコミック増刊号』に「やだね!」連載開始 |
5年 |
12月 1日 |
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『コミックガイズ』創刊号から「西幽記」連載開始」 |
6年 |
6月28日 |
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『漫画アクション』6月28日号から「リストラマン太郎」を連載 |
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8月 1日 |
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『COMIC アレ!』8月号から「アウトロー」連載開始 |
10年 |
2月13日 |
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『週刊漫画ゴラク』2月13日号から「開化御免」連載 |
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4月10日 |
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『漫画サンデーフォアマン』創刊号から「サーフサイド物語」を連載 |
11年 |
1月 5日 |
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『ビッグコミックオリジナル』1月5日号から「MEDICAL99」連載開始 |
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10月28日 |
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『コミックモーニング』10月28日号から「警察署長」連載開始 |
12年 |
5月25日 |
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『コミックモーニング』5月25日号に「サギと強盗」を掲載 |
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6月 5日 |
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『ビッグコミックオリジナル』6月5日号に第11話「生命の現場」を掲載 |
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7月 5日 |
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逝去。享年51才 |